その日は気の滅入る、酷いどしゃ降りの雨であった。外を見れば、気分も自然と沈んでしまう水滴の冷たさと、窓を開ければやけに入り込む風の肌寒さを“彼”は同時に味わうことになろうとしている。
もっと残念なことを言えば、授業担任の教師が空気の入れ替えと生じ、何時でも何処でもと窓を開ける特性を持っていることである。更に今日に限って窓際は特に最悪であった。
意地の悪いことに、この教師は顎をしゃくりながらわざとらしい笑みを零している。同時に純也の周囲から彼を嘲笑する声や非難した声、中には同情した声も微かに聞こえ始めた。教師は指し棒をトントンと持ったまま、窓を閉めらせる気はさらさら無いらしい。
苛立ちをぶつけるかのようにピシャリと窓を乱暴に閉めると、教師が純也の席に向かって歩いてくる。
「おい、貴様ぁ、誰が勝手に閉めて良いと言ったぁァ!」
教師は純也の頬に差し棒の先端部をあてがってきた。と同時に頬を数回弾いていた。彼の頬はジンと赤みが差し、箇所ごとに凹んだり腫れたりしている。
「…………」
「何とか言わんかァッ!」
「はい――何とか。これで良いですか?」
「!? な、にぃ?」
反抗的な態度に教師の顔が引き攣った。今まで生徒に馬鹿にされたことがないのがこの教師の取り得(裏では分からないが)、または強みだったのか、今や唇が変に曲がり、目元に青白い血管が浮き出てピク衝いている。生徒への優位性を失い、かなり動揺したようだ。
男性教諭の顔が醜く破顔したのも束の間、彼処から噴出し笑いが聞こえてきた。笑ったのは黙々と黒板の書き取りに先ほどまで勤しんでいた生徒たちである。
周囲にいる生徒たちにも馬鹿にされた。と勝手に思い込んだ教師は茹蛸のように顔が真っ赤になり、下唇を噛み締めている。歯軋りすらし始めていた。
今にも純也の座っている席を教師は、小汚い便所スリッパが履かれた短足を持ち上げ、蹴る動作に移ろうとした。
「スミマセンでしたッ!!! 俺のような無精者には先生の有難い言葉の意味が理解できず……誠に申し訳ありません!!!」
凡そ想像もしていなかった。地響きを起こすような彼のドデカイ声に。見た目優男、純也の威圧的な謝罪に。周囲に撒かれていた喜怒哀楽と言った感情の渦は一気に消し飛ぶ。度肝を抜かれたかのように誰もが押し黙ったのだ。嘘のように室内は静寂に満たされていた。
「そ、そうか。わ、解れば良いんだ。う、うん、解ればな」
特に二の句を言わず、教師はイソイソと振り上げた足を下ろす。まるで意気消沈した男根のように。
教師は余所余所しく踵を返して退く。と寂しげなコケた背中を右へ左へと揺らして、本来いるべき場所、教壇へと戻っていった。
そして授業の終了と同時に一目散に男性教諭は室内から退散する。と祝福でもするような口笛と軽快な足音が純也の耳に入ってきた。
「全く良くやるよ。アンタのお陰で終始、中村先生、タジタジだったからさぁ~、ホント笑っちゃったね」
暢気に話しかけてきたのは、彼が座っている席から三つほど右へ離れた席にいる女の子である。ほんの少し長めのブラウンカラー前髪をピンで止めた、彼女もまた純也同様に何処にでもいるような女子のようだ。
妙に親しげな女子は愛らしい笑みを浮かべ、純也の机に足を組むような形で腰掛けた。丁度、純也の目線には彼女のプリントシャツからはみ出した大き目の乳房と扇情的なブラが見えている。
傍から見れば、彼女はワザと純也を誘惑するように胸や足を左右に揺らしたり、組みかえたりと。彼女が着ている変哲も無いベスト、Tシャツ、スカート。それに動作が加われば第三者には、まるで自分に魅せ付けているような錯覚を催(もよお)してしまうようだ。
思わず視覚に入ってしまう周囲で雑談している男子諸君はパンツ越しに勃起してしまうような(実際しているが)魅力的な肉体を彼女はしている。それは誰にも変えられない事実である。
しかし、魅せつけている相手、純也は冷めた視線を彼女へ送り、何故か溜息すら漏らしていた。
「お前少し、恥じらいって言葉、覚えた方が良いぞ。一応は女なんだから誰かに見られる可能性があることを……」
「別に良いじゃん、見せたからって減るもんじゃないしに~。サービスよ、サービス。アッ~、もしかしてクラスの誰かに嫉妬してるとか?」
「それは無いな。うん、まず無いな」
純也は机に頬杖を着きながら二度否定し、冷静に真顔で言った。
「だいたいお前、俺の彼女だろ……涼子(りょうこ)。魂胆は解っている。試そうって言う腹積もりだろ? どうせ俺にヤキモチでも妬かせたいんだろうけど、俺はお前のことを誰よりも知り尽くしているからな。まず無駄だよ」
「はぁ? マジ自意識過剰! 何言ってんの、そんなんじゃないですから~。アンタの逞しい想像力にはホトホト呆れちゃうね~」
と、言いつつ明らかに言動と表情が矛盾している涼子。強気な口調ではあるが、顔色をほんのりと紅潮させている。
「そうか? なら、お前こそ窓の外、ちょっと見てみろよ」
「え? 何、何? 何かあるの?」
「有るには在る、いや居るか。けど……俺もお前を試そうと思ってな」
「は? どういう意味?」
涼子は怪訝そうな顔つきで窓の外を見やった。窓の外には、小柄な体を隠すように肩を竦めた女が、暫くしてから涼子の目に入る。
電柱の影や、傘の伸びた影やら、又は長めのトレンチと一体化したように彼女の存在は極度に薄い。口頭で彼女の特徴を伝えるのなら“地味”と言う単語がもっとも適切である。通常なら見つけるのは、かなり困難であった。
だが涼子や純也の場合は、彼女の特徴を毎度のことなので、脳に深くインプットされていた。
「あら~? あの娘、また来てるの? ホント物好きね……ねっ」
「どうだ、お前は嫉妬したか?」
「ふ~~ん、アタシはアンタのこと信じているし、そりゃ、べ、別にね……」
(その割には声が上擦って動揺しているようだけどな)
涼子は純也から顔を背けている。程よく染まった赤い頬や耳たぶは隠し切れないが。
「面白い顔しているな、お前……」
「ふん! うッら~やッましーいナァ。モテまくりじゃん、ヤマジュンはッ!」
涼子はブー垂れたように舌を出して、愛らしい表情で皮肉って言った。彼女の仕草にヤマジュンこと本山純也は溜息を吐いて、視線を俯かせている。
「頼むからその“ヤマジュン”って愛称で呼ばないでくれ。何だか変に寒気がしてくる」
「別に良いでしょ! あの娘にもそう呼ばれているんだからっ! アタシだってね、呼ぶ権利ぐらいはありますよ~だッ」
「……恋人特権を楯にするかな……普通……はぁ、もう帰ろうぜ、午後の授業ふけちまうか?」
「だったら、うち寄ってよ。良いでしょ。久しぶりにアンタのアレアタシの小さなピンクの唇で咥えてアゲルからさ」
「それってお前の部屋でか? そう言えば今ぐらいの時間……お前んとこの兄貴が帰ってきているんだろ? やっぱ不味くないか?」
「大丈夫、大丈夫。うちの兄ぃ、しょっちゅう朝帰りだから、今時間、寝不足で熟睡してるしょっ」
「…………」
二人は鞄やバッグを持つと、一階にいる事務員のオジサンに、病欠事項を添えた退出届けを出してから、一本の傘を差し予備校を後にした。
気付かない内に純也の喉が蠕動していた。
やはり男である。外面をクールぶっている純也も、性欲には勝てなかったようだ。
外に出ると、二人は電柱の影に隠れている女性と目を合わせないように……あくまで通り過ぎようと、
「ヤマジュン! それと、チッ――月山(つきやま)さんですよね……お二人して一体何処に行くんです? まだ授業中だと言うのに」
電柱の影からヌゥ~と音も立てずに現れたのは例の彼女である。
女はあからさまに嫌な顔した。本山純也と月山涼子。女の掛けた呼びに温度差が生じたのは、はたして気のせいだろうか?
気のせいではないようだ。事実、彼女の見る視線は本山純也しか見ていない。
「帰る途中なら、彼女とではなく、私と一緒に帰りません?」
「「…………」」
二人して同時に嘆息する。と急に涼子が柔らかそうな桜唇を尖らせ彼女に問うた。更には切れ長な瞳をより鋭利にさせ。
馴れ馴れしく彼女が間に入り純也の腕に絡みついてきたのが原因のようだ。それ以上に涼子に今まで差していた、二人の傘を押し付け、自分の傘に無理にも純也を招き入れている。
「えーと、理香ちゃんだっけ? 君は純也の現彼女か何かかな? じゃなかったら、関係ないよね? 言っていること分かる?」
「私は……ただ、アナタとヤマジュンが……その、一緒に、帰るのが、可笑しいと、思う、だけなんだけど?」
「「はぁ??」」
(こいつ……俺たちが恋人同士って知ってる筈だろ。前にも説明した筈なんだけど……な)
「だって~、私たちィ、ヤマジュンと理香はァ、運命の赤い糸で結ばれているの、うふふっ」
理香は左右の人差し指と人差し指、小指と小指をくっ付けながら言った。口元はぬるりと涎で濡れている。
彼女の面は寒気がするほど暗く、不気味で、妙で、危険。二人は言い知れぬ恐怖を全身で感じている。
唖然と言葉を失っていると、理香が笑みを浮かべて紡ぎ始めた。
「だからァ、本来、私と一緒にいるのが正しいのよ、アナタは」
「ふざけるなよ。一度助けてあげたから。知り合いだから……大目に見ていたが……お前、自分のやっていること分かっているのか? お前のやっていることって立派な犯罪(ストーカー)なんだよ」
「ストーカー? それって図々しく傘の中にいる月山さんのことじゃないのかな」
いかにも不思議そうに首を傾げて、嫌な笑みを零す彼女に、純也は堪らず平手を上げ、
パシンと乾いた音が鳴った。後に花模様の傘が地面に、回した独楽(こま)のように転がる。
純也の手はまだ振り下ろされていない。先に振り下ろしたのは涼子である。
「アンタッ、いい加減にしなさいよ。自分勝手にアタシ達に付きまとってッ!」
涼子の怒声に少しの間、三人は沈黙。すると掻き毟ったような金切り声を突然理香は上げ始めた。完全に取り乱している。
「あああぁぁぁアアアァァァ……、腐るゥゥゥ、気持ち悪いぃぃぃ、アナタなんかに、アナタなんかに、私の横顔をブッ叩かれるなんてぇぇぇ!」
死ね、死ね、死んでしまえ、と奇声に近い呪いの言葉と実際に口からゲロを噴射機のようにアスファルトの地面に吐き散らしている。ロック歌手ばりに頭をガクンガクンとヘッド・バンキングすることで、長い髪の毛は痛みすぎて揉みくちゃになっていた。
白目を剥き、理香は体を両手で抱くように激しく震えていた。
「何かヤバイ。とにかく……逃げたほうが良さそうだな」
「え、うん」
純也は涼子の手を引くと、理香の側から一目散に遁走した。
二人は涼子の家路に帰す頃には、揃って気分が萎えていた。
純也は彼女を無事送って、特に愉しむこともせず、自分の家に帰ることにしたようだ。
「じゃ、また、明日な」
「待ってよ、純也。もう少しだけうちに居てくれない?」
「悪ぃ、今、そんな気分じゃないんだわ。だから、明日予備校でな」
素っ気なく純也は彼女を背にして帰る。涼子の顔つきは泣きそうな程、悲しげだった。があえて純也は振り返らずにいたようだ。
振り返れば嫌な出来事が起こりそうな気がした為だ。以前に純也は“友人と一緒に居たため”で、友人が大怪我した経緯がある。偶然ではなく必然。彼女、理香が何かを行った為である。理由は分からない、方法も分からないが確かだ。
それに、何処かで今も理香が自分や涼子を観ている気がしてならなかった。例え逃げてきたとは言え、何処かで監視しているような、そんな気配を肌で感じているのだ。これ以上一緒にいれば悪いことが起きると。
(純也……こんな時だからこそ、アタシはアンタと一緒に居たいのに……)
形は違う。互いを思う気持ちはあるのだが、二人は何時も何処かで心が擦れ違っていた。
2
午後20時、予備校裏手門にて――中村教諭が帰宅するため愛車のクラウンに乗り込もうとしていた。
「クソガキどもめ。俺を馬鹿にしやがって、今に見ていろよ」とぶつぶつ独り言を洩らして運手席に乗ろうとした時である。
「あ? 誰……」
振り返ろうとすると、頭蓋から耳元へ擦り抜けるような鈍い音が聞こえる。
誰かに後頭部を鈍器のようなモノで殴られ、白線が引かれた職員駐車スペースに顔から昏倒した。
皺だらけの鼻や唇が潰れるように地面とキスした瞬間である、新たな二撃目が喰らわせられたのは。――痙攣。
中村教諭を殴りつけた者はマスクをしていた。コンビニやスーパーなどで売っている一般用のちょっと大きめな風邪マスク。
マスクをした何者かは、にやりと笑みを浮かべ、懐から医療用のメスと裁縫セットなどでお馴染みの細い縫い針を取り出した。
だが普通と違う。メスや針は特殊な薬品に浸して有ったのか、黄緑色に変色していた。
「上手く出来そうね。そんなに歪んでいないし」
中村教諭の体に触れ、状態を確認しているのか? ぺたぺたと細い指を這わせては、頭部を握っては揺らしていた。そして縫い針を使い、皺の寄った箇所を重点に針止めしている。伸ばしているのだろうか? または何かを調整しているのだろうか?
兎に角、何者かは、声質から察するにどうやら女性のようだ。彼女は息を荒くして淡々と指を動かしていた。
彼女は中村教諭の白髪交じりの髪の毛を鷲づかみにする。と持っているメスを生え際に合わせて一直線に、背中からお尻に掛けて服ごと両断した。
遅れて血液が迸る。が直ぐに止む。頭部から背中に掛けて紅い切れ目がツーと入った。
次に彼女は、その切れ目に、予め身に付けておいた医療用の手袋、白い指先を切れ目の端と端の間に滑り込ませるように掛けた。
指に力を込めた為、中村教諭の皮が鶏肉みたく弛んでしなる。どうやら彼女は一気に服ごと剥がしに掛かっている。
青白い血管がビチビチと騒ぎ、皮膚と肉の接合部が剥がれてゆく。特に顔や指や股は丁寧に剥がしている。
そしてあらかた丁寧に剥がし終えると、一気に服ごと剥がす。と彼女は嬉しそうに脇に中村教諭の皮を携える。
「仕上げは……」
皮膚のない、まるで人体標本と化した中村教諭の体を運手席に適当に投げ入れると、燃料タンクのレバーを引き、蓋を開けた。
中村教諭の背広のポケットからライターを拝借し、車内にあった布切れに火を点す。と彼女は何を思ったのか燃料タンクに火が点された布切れを投げ込んだ。
すぐさま彼女はその場から風のように走り去る。暫く時間を置いて駐車場で爆発音が鳴り響いていた。
――翌朝、地方の新聞やテレビに純也たちが通う予備校が一面を飾っていた。
純也たちが通う予備校は当然のことながら臨時休校するらしい。
「見たかよ、テレビや新聞。中村先生が焼死体で発見されたって」
部屋のベッドに寝転がり、携帯で話をしているのは純也である。相手は涼子に相違ない。
『うん、見たよ。あの先生、嫌な奴だったけど、死んでしまうと何だか寂しくなるね』
「ああ、そうだな、まさかとは思うが……」
『ン、どうしたの?』
この時、純也の脳裏には不安と予感が過ぎっていた。中村先生は死因は不運な事故死となっているが誰かに殺されたんじゃないのか?
その誰か? 自分は当てはまる人物を一人知っている、と。
だが、こんな仮説を立てて何になる。彼女に相談したところ彼女が怖がるだけ。
途中で話を止め、純也は黙って口を噤んだ。
「……いや、何でもない」
『何、それ? 意味ワカラン』
「ハハ……そうだ、今からお前のウチに行っても良いか?」
『ん? 別に良いけど。でもどうして?』
「いや、何、昨日出来なかったこと……急にしたくなってさ」
『マジッ!? じゃ、早くね。何でも良いから羽でも付けて超特急で来ーい!』
「分かった、出来るだけ早く行くよ」
と、携帯を切った。
純也が掛けた携帯の向こう側。つまり涼子のいる二階部屋、その外では、誰かが白昼堂々と窓から侵入しようとしていた。
右脇には中村先生の皮を乱暴に抱えている。間違いない昨日の女である。顔には風邪でもないの大きめなマスクをし、コートを……おや? 何処かで見覚えがある。
「あなたは理香ッ!?」
涼子は気付いたようだ。だが時既に遅しとはこのこと。理香は窓を開けて部屋に侵入していた。
「私は……どうしても……彼が欲しいのッ!」
「きゃっ」
中村教諭の皮を無造作に涼子の顔面にぶつける。と理香は覆いかぶさるように涼子に飛び掛った。涼子の両手を掴み、そのまま押し倒しに掛かったのだ。
必死にもがく涼子。両足で腰を挟むようにし、両手は固定と器用に制する理香。と言う図式が完成している。
理香は抑えながらも、マスクをずらし、ワインレッドカラーの鮮やかな紅を引いた唇を巧みに動かし、いや舌を、中で奇妙にうねらせていた。内容物を噛んで解すように。
――と、唇の先から一本の縫い針が出現する。
プッと理香は縫い針を飛ばし、涼子の髪の降ろしたちょうど額の中心辺りに命中する。
突然、涼子は身を硬直させ、棒切れのように真っ直ぐと体を伸ばし白目を剥いた。どうやら彼女は気絶したようだ。
「うふっ、うふふふふふふっ。私は今からアナタになる……。アナタという存在自体は嫌いだけど、純也の為なら幾らでも私は我慢できるのッ!」
そう気味悪く言うと、彼女は颯爽と作業に取り掛かる。
最初に何故か自分の衣服に手を掛け、全て脱ぎ全裸になった。ブラやショーツと何も身に付けていない。生まれたばかりの赤ん坊の姿だ。
脱ぐとひょろりとした細い体が現れ、まるで怪談物語などに出てくる幽霊そっくりである。
不健康な真っ白い胸はお世辞にも大きいとは言えない。全体なんて骨が薄っすらと見えるぐらいだ。
「さてと、残念だけど私の姿とは、もうお別れね」
彼女は一度、名残惜しそうに自分を抱きしめると、作業を再開させた。
頭、腕、足、陰部、と持っていた縫い針を自分の肉体に刺してゆく。まるで麻酔でも掛けているようだ。刺す度に顔を苦悶に歪ませているが、はたして効いているのだろうか?
すると理香は何を思ったのか、コートから取り出したメスを自分の体にあてがい、鋭く疾らせた。額から股間へと、更には背中や後頭部に至る。円を描くようにして、縦に一周する。
線が入り、ゆで卵が剥けるように彼女の皮は二つに剥けた。驚くほど生々しく、中からは筋肉や血管が見える不気味な肉の塊が姿を現したのだ。
どこか別の生き物と捉えてしまいそうになるが、やはり彼女である。本質の変わることの一生無い、彼女のなだらかな声やあの瞳の怪しい輝きだけは揺るぐことは全く無かった。
「次は……」
彼女の眼下にある、先ほど仕留めたばかりの獲物、涼子へ視線を移している。
中村教諭にしたように涼子の髪の毛を、艶ある茶髪頭を鷲づかみにして、皺の寄った箇所がないか丹念に確認。終わると縫い針で仮止めする。
そしてメスを素早く陰部まで疾らせてゆこうとしたが、細指がうなじの辺りでピクッと止まる。
「そうだ。もしかしたら変に思うかも……バレちゃ不味いから服は脱がしておこうかしら。服ごと切ると縫うとき結構大変だし。でも、まぁ、私は完璧に縫う技術は持っているんだけど、ね……」
独り言をぶつくさ呟きながらも、手を留守にはしていない。既に彼女の服を手際よく脱がしていた。
ロゴ入りのシャツにチェックの入ったミニスカート。薄くシミの残るショーツやスポーツブラを全て取っ払うように外して、彼女も自分同様全裸にする。
時間を掛けずにメスを背中に疾らせ、これも中村教諭同様に中身を出す。皮膚のない生き物が外界へと姿を現した。
理香は脱がしたばかりの彼女の皮を切れ目の入れた場所から入っていった。
自然に焼けた健康的な肌が理香の剥き出しの筋肉を気持ちよく覆ってゆく。
足の爪先をしっかり根元まで入れ、太腿はしっかり合わすように。
小麦色の腕は捻じ込むように入れ、カラフルネイルの入った手の指先はゴム手袋を装着するように。
自分とは真逆の大きめな胸や美しく生え揃った陰部もまた、感覚を確かめるように揉んでは入れ。
最後に頭部を仮面を被るように目や鼻や耳を伸ばして具合よく入れた。
まだ姿は不恰好ではある。皮が緩んで垂れ下がり、脂肪が付くべき場所に入っていない。主に臀部や胸など。
彼女が縫い針を箇所ごとに刺すと状態が変化する。腰やヒップは締まり、美しいラインを描く。胸は本来の自分より二倍以上に膨らみ豊かになった。
表情も自然に見え、何処からどう見ても可愛らしくも美しい涼子のシャープな顔立ちに変化した。
理香は劇的に変化した自分の体を確かめるように手を握ったり、陰部に二本の指を入れ締まり具合をチェックすると妖艶な笑みが彼女の顔に張り付く。
「いよいよ、大詰めね。うふっ。アナタもそんな気持ち悪い姿じゃ何かと……特に日常生活は不便でしょ。だから――」
床に落ちている中村教諭の体を涼子に着せるつもりらしい。
意識のない体とは、彼女にとっては至極楽らしい。やはり手馴れた感じで涼子に着せている。
涼子の体も変化してゆく。筋ばった赤い肌は脛毛の生えた脚に覆われ。
腕もまた、バラけて濃い毛の生えた腕や指は垢の溜まった爪に。
胸は盛り上がってはいるが毛むくじゃらに。
何も無い陰部は下向きにくたびれたチ○ポが添えられ。
顔や頭は白髪交じりの眉、髪、髭と老いた顔が装着される。
そして自分にしたように彼女は涼子にも針を刺してゆく。
胸に刺せば、硬質な男の胸板に。陰部に刺せば、元気を取り戻した息子が勃起。顔に刺せばいやらしい中年の顔が即座に出来上がる。
「出来たわ……屈辱的だけど、やるしかない。もうすぐ彼が来るわ。その前に準備をしなきゃねッ」
理香が持ってきていた、中村教諭の服を、彼女は辺りにぶちまける。背広やパンツと言った衣服を散乱させるかのように。
理香自身の衣服は傍にあるベッドの下に放り込む。涼子の脱がした衣服は中村教諭の衣服に重なるように散乱。
すると理香は、何やら部屋を探し始めた。暫し探してお目当ての物を見つける。と顔を綻ばす。
「やっぱり、有った」
理香が手に取ったのはローションだった。それを手の平に万遍に塗りたくり、中村教諭の、今は涼子のチ○ポを握り締め、扱きに掛かる。
ほっそりとした指の間を抜けて、上下に扱かれる度に涼子は呻いた。意識は無いにせよ、ちゃんとアソコも感じるようだ。
陰茎(ペニス)から先走り汁が飛び出している。彼女は性的興奮を感じているようだ。男性器は肥大し長さや硬さが徐々に増している。
案の定、射精した。部屋中に噎せ返るような臭いが瞬く間に立ち込める。
涼子が持てる種の出し尽くしを見計らい、自分の陰部(今は涼子の)へと薄汚れたチ○ポを招き入れる。と体勢を逆に変えた。涼子が理香を押し倒しているように。実際の姿では中村教諭が涼子を無理やり押し倒し、挿入しているように見える。
準備完了。彼女は涼子の顔で邪悪な笑みを浮かべる。
だが、思いついたようにハッとすると、最後は針の回収と今の体に合わせるように、喉仏に針を刺して声色を変える。
今度こそ準備完了。
これを見た純也の反応は一体どうなるのだろう?
ドアが開く音がする。軋む音だ。純也が部屋に入ってくると、同時に彼女は叫んだ。
「キャァ! 助けてッ、純也ッ!」
「中村ぁッ……お、お前、何やっているんだッ!」
純也の蹴りが涼子の脇腹を襲う。純也は力任せに理香から引き剥がした。
意識のない体は当然の如く、少しだけ呻いたりはするが、悲鳴を上げたりはしない。
怒った純也は涼子の体を殴る蹴るの暴行を加えた。
「もう、止めて……お願いだから……」
意識を取り戻したのか涼子から嘆願するような渋い声が返ってきた。血の泡(あぶく)を吹き濁音混じりの汚い声なのだが。
純也は聞き入れたりはしなかった。拳を振り下ろすのを一向に止めたりはしない。感情を剥きだしにして一方的に殴るのをエスカレートさせている。
何故か理香は純也を後ろから抱きしめて制止させた。
「純也、お願いだから、もう止めてッ」
(こんな女でも死んでしまったら、何もかも終わり。だって彼女、これ以上の苦痛が味わえないじゃない。もっと苦しませなきゃ駄目よ)
「でも、コイツはお前を……」
「良いのッ。もう、良いの。私が先生をウチに入れちゃったのが原因なんだから。先生、ニュースでも死んだことになっているでしょ。帰る家も何もなくて困っていると思って、わ、アタシ……」
「そうか。でも、何でコイツは」
「それは……先生が。死んだ振りして保険金詐欺を働こうとしたのよ、きっと!」
「そう、なのか?」
無茶苦茶な言い分に首を捻る純也だが、問題の当事者である中村教諭に訊ねようとして、涼子を見たが彼女は気絶していた。
理香はその隙を見計らい、純也と口付けを交わす。唇の中で唾液が糸を引き、舌が攻め入る。
裸の理香は恍惚そうに瞳を潤ませて、純也を見やっていた。“キテ”と。
「…………」
言われた瞬間に純也の男が反応していた。
エピローグ
あれから数日が経った。中村教諭は生きていたことが発覚したが、意味不明なことを喋るため精神病棟に今は入院している。
ちなみに車で見つかった死体は身元不明扱いとなった。DNA鑑定では中村教諭と一致するが検察は何が何だか分からなくなり、事件自体うやむやに葬り去れる。
純也と理香は――
「アン、アン、イイッ、そこよ、純也ッ! アナタのいきり立ったチンポで私の奥まで突いてぇぇぇッ」
「えッ?」
「どうしたの、ほら、もっと、もっと振ってよッ」
「ああ」
違和感を感じていたが、気持ちよさが彼の思考を阻害する。
純也の下半身が動く度に、激しく彼女がベッドの上で跳ね上がる。騎乗位、または女性上位。
純也は胸を揉みしだき、乳首を刺激する。理香は彼に粘質なキスを見舞いながら体中をお触りした。
互いに汗と、口から涎や愛液、精液を存分に垂れ流している。純也のピストン運動が増すごとに、涼子の喘ぎが綺麗に奏でられる。
二人は対面したり、背面にしたりと体位を変えては愉しんでいる。
「次は花時計やるね」
「ああ」
(まさかな)
考えすぎだよな。と薄々彼は思っていた。
彼女が別人ではないかと。
――後も二人は何とも耐え難い絶頂感とともにオーガズムを何度も迎える。
今は衣装ケースに眠っている理香の皮。が次に陽の目を当たるのは何時になるのだろう。と待っているように微笑んでいた。
「イクゥゥゥゥゥゥ」
終
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